もちもちの木

日々感じたことを雑多に書きます

生きること

こんばんは!

 

3.11の東日本大震災から10年が経ち、

数日間SNS上に上がる投稿を見ていました。

 

その中で、大学時代の恩師がSNS

「生きること自体への選択は(自身に)委ねられているのかどうか」と書いており、

震災といった大規模災害だけでなくいつ死ぬか分からないこの世で、私自身の「生きること」への考えを書いてみたいと思いました。

いつもとは毛色の違う投稿ですが。

暗い話になるので、ご注意下さい!!

 

さて初めに、私には昔から今までずっと心に深く刺さっている言葉があります。

それが「あんたなんて産まなきゃ良かった」という親の言葉です。

結構辛い言葉ですねww

何回か言われたことがあるのですが、一番古い記憶は小学生の時で、かなりの衝撃でした。それから「私だって生まれたくて生まれてきたわけじゃない」という思いが芽生えました。言われて間もないころはショックが大きかったので、時間はかかりましたが。

記憶にある限り、私は決して生まれたいと言って産まれてきた訳ではなく気がついたらこの世に生を受けています。

親、特に母親は、確かに自身から子を産み落としたかもしれませんが、命は授かったものであり、決して親の所有物ではない。

そう思うと、親でも自分自身であっても、自分の命を勝手に終わらせることは許されないのではないかと思ってます。

 

しかし中学生の時、小学校の友達が自殺しました。マンションからの飛び降りです。

私は中学受験をしていてその友達とは卒業以来疎遠になっており、訃報を聞いた時は酷く驚きました。

急に「死」というものを身近に感じた時でした。

 

そしてこの友達の自殺は、私の幼馴染であり、共通の友達だった女の子に強く影響を与えました。

その後、彼女からは何度も「どうして生きなければいけないのか」「死にたいのなら死んでもいいのではないか」と問われました。「どう思う?」と。

当時の私はどう答えたらいいか本当に分からず、ただ、自分は生きてほしいと思っているということと理由は分からないけど生きなければいけないと思うと答えました。

彼女はなんとも言えない顔で私の話を聞いていました。あの時どんな感情を抱いていたのか、今でもわかりません。

ただ、結局その子は今も生きていて、今では「生きていて良かった」と言ってくれるので私としては本当に嬉しいです。

友達の死をきっかけに、人の死はその人の周りに大なり小なり影響を与えるのだと実感しました。

 

それから10年以上経ちましたが、根本の考え方は変わっていないように思います。

どちらかというと、はっきりした意見に固まってきたような。これがいわゆる「頭が固くなる」一歩かもしれませんが…笑

 

長くなりましたが、以上から今の私の考えとしては「生きること」は自身に与えられた命を守り、使うことです。何のために使うのか、またどのように使うのかは私たちに与えられた唯一の自由であると考えています。

ただし、命を勝手に終わらせるようないわゆる自殺といったものは授かった命を勝手に放棄する行為であり、さらに他の命に影響を与えます。

つまり前述した恩師の疑問に対して、私の意見は「生きること自体への選択は委ねられていない」です。

 

命があるのであれば、精一杯過ごして

楽しく1日1日を生きたいですね。

 

それでは!