もちもちの木

日々感じたことを雑多に書きます

思い立ったが吉日

今回は私の好きな


思い立ったが吉日


ということわざがテーマです。


意味としては「何かをしようと思い立った日が吉日と思って、とりかかったほうがよい」

このブログも思い立ったが吉日!で始めました。


このことわざについて、

なぜ大切と思っているのか?について書いていきます。


理由は2つあって

1つ目に、思い立ったことにとりかかることで、自分の中にある軸(不変なもの)に触れられるから。

何かに対してやってみたいと思う気持ちって、理屈以上に何か直感的なものが強く働いていると思っていて、それは自分の中にある軸から外れたものではないのかなと。


軸、について詳細な言語化が難しいのですが、自分を成り立たせているもの、根本の考え方倫理観に近いのかなと思います。


そもそも軸がなんでいるの?って話なんですが、

私の場合昔から周りには意見の主張が強い人たちが多かったせいか、常に周りに従うことを優先していて…まあ…その方が楽だったんですよね、今思えば。

その結果、周りに振り回されて疲弊することも多々ありました。

でも自分の軸を少しずつ持てるようになってからは、周りの意見に対して自分のスタンスは持てるようになって、従うにしてもしないにしても自分の足で立っている感覚を持てようになったと思います。


そして、その方が周りのことを知ろうと思えるんですよね。不思議なことに。

自分の軸を持つことで周りとの相違点を感じられると、より他人との関係性を意識できるんだと思います。

あ、ただこれは自分は自分、他人は他人で区切りをつけ切り離してしまうことではなく

あくまで自分の軸と他人の軸が触れた上で、どちらも尊重して触れ合うということです。


社会人になってからこの軸の触れ合い方はすごく重要だと思っているのですが、長くなりそうなのでまた別の機会で…。


さて1つ目が長くなりましたが、2つ目の理由については単純に、

自分を後押ししてくれるから、です。


軸に沿ったことといってもそもそも何かを始めるのって億劫ですよね。


自転車も漕ぎはじめが大変なように、スタートって面倒。そんなときに勢いにして始めやすくなる魔法の言葉が「思い立ったが吉日」だと思います。


何かをやりたい、という自分の声が聞こえたらぜひ

「思い立ったが吉日!」


それではまた次回…